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東四

中国語表記:东四   

住所:北京市東城区東四南の町8番   

公式サイト:なし   

最終更新日時:2018-08-09 16:54:45

北京市・東城区に暮らしている住民ならば、「東四」を聞くと、さぞかし親しみを覚えるでしょう。ここにあるすべての胡同や街は、町内の古いお付き合いたちの美しい思い出に染み込まれでいます。この辺りを通る度に、過去の出来事がまるで目の前に映し出されるかのように身近にあるように感じられます。もし運よく古いお付き合いに会えるとしたら、昔よく通っていたレストランにでも行って、100グラムのお酒を飲みながら、一緒に思い出話を語りながら、とりとめのない話をするでしょう。

 
「東四」に関する思い出を話すならば、この牌楼から始めなければなりません。1956年に取り壊された「東四」の西牌楼ですが、頭条の胡同は半分しか残っていませんが、そこには多くの有名人が住んでいました。例えば、銭鐘書、楊絳などの文化人が住んでいたことがあります。また「東四」2条には、完全な状態で保存されています。四合院や道路に面した建物の壁と接続して高さ2メートル近い煉瓦壁が築かれ、南側に「大門(表門)」を構えます。中国の華北地方以北及び西北地方に多く見られるが、特に北京市街において建てられたものが著名です。両広総督・軍機大臣であった福康安の旧居です。「東四」三条はほとんど文化遺産保護区であり、ここにある四軒はすべて清王朝皇帝の一族と貴族・親戚のものです。67号は清朝の完顔立童記の家です。彼女は溥儀の皇后である婉容のいとこであり、3条26号に住んでいた有名な京劇役者の孟小冬の親友です。
 
「東四」四条五号は清朝中期・後期に建てられており、元々は道光帝の本家の綿宜の邸宅であり、隣は張学良の住居でした。北京で唯一に残された清の造幣廠、例えば康煕通宝、乾隆通宝などは、ほとんどこの屋敷で造られたものでした。また「東四」五条には、裕謙の旧宅があります。裕謙は、アヘン戦争における被害者の中で最も高い官職を持つ朝臣でした。そして、西へと少し歩けば、「文治総統」徐世昌の旧宅が見えます。なお、「東四」七条には四つの中庭があり、最初は清王朝の輔国公載燦府と輔国公溥釗府でしたが、閻錫山によって購入されました。なお、解放後、八一電影製片廠の寮に変わりました。

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