雍和宮は清代康熙33年(1694年)に建てられ、雍正帝が帝位につく前の王府でした。乾隆9年(1744年)に正式にラマ教のお寺になり、北京地区で規模最大、完ぺきな形で残るラマ教(チベット仏教)ゲルク派の寺院であります。
TEL:
010-84191906;010-84191909ベストシーズン:
1年中所要時間:
2時間料金情報:
25RMB/1人 25RMB/1人営業時間:
11月1日-翌年3月31日:9:00-16:00 国子監の東口を出ると、古刹のいかめしく荘重なムードを漂わせている建物が見えます。これは北京で最大で、保存状態が最も良いラマ教黄教寺院雍和宮です。1981年、雍和宮は宗教活動の場所として正式に開放されました。
雍和宮は清代康熙33年(1694年)に建てられ、雍正帝が帝位につく前の王府でした。即位後、邸宅の一部を黄教の上院寺院とし、残りは皇帝行宮としましたが、そのあと行宮を焼けてしまいました。雍正3年(1725年)、上院を行宮に改め、「雍和宮」と改称しました。乾隆9年(1744年)に正式にラマ教のお寺になり、全国のラマ教教務の中心となりました。
雍和宮は、南北の長さが400メートルほどで、敷地面積が6.64万平方メートルに漢、満州、モンゴル、チベットの各民族の建築様式が融合し,一体となった独特な雰囲気を持つ寺院です。全体は東、中、西の三つの部分に分けていて、中部が南と北の中央線にあります。南から北へ、排楼、昭泰門、天王殿、雍和宮、永佑殿、法輪殿、万福閣など順番に並んでいます。
言及に値するのは法輪殿の五百羅漢山です。五百の羅漢は金、銀、銅、鉄、錫の5種類の金属を使って造られて、山のところ...
国子監の東口を出ると、古刹のいかめしく荘重なムードを漂わせている建物が見えます。これは北京で最大で、保存状態が最も良いラマ教黄教寺院雍和宮です。1981年、雍和宮は宗教活動の場所として正式に開放されました。
雍和宮は清代康熙33年(1694年)に建てられ、雍正帝が帝位につく前の王府でした。即位後、邸宅の一部を黄教の上院寺院とし、残りは皇帝行宮としましたが、そのあと行宮を焼けてしまいました。雍正3年(1725年)、上院を行宮に改め、「雍和宮」と改称しました。乾隆9年(1744年)に正式にラマ教のお寺になり、全国のラマ教教務の中心となりました。
雍和宮は、南北の長さが400メートルほどで、敷地面積が6.64万平方メートルに漢、満州、モンゴル、チベットの各民族の建築様式が融合し,一体となった独特な雰囲気を持つ寺院です。全体は東、中、西の三つの部分に分けていて、中部が南と北の中央線にあります。南から北へ、排楼、昭泰門、天王殿、雍和宮、永佑殿、法輪殿、万福閣など順番に並んでいます。
言及に値するのは法輪殿の五百羅漢山です。五百の羅漢は金、銀、銅、鉄、錫の5種類の金属を使って造られて、山のところどころに置かれています。この羅漢山の全体はまるで仙境のようで、雍和宮の「三絶」の一つです。万福閣に教養されている「弥勒菩薩像」の木像は高さが18メートル、地下に8メートルをプラスして全部で26メートルです。