茅盾故居

故宮の東北、東城区交道口南大街後円恩寺胡同13号にある作家茅盾(1896‐1981)が以前住んでいた旧居。前圓恩寺小学校裏門の真向かいにあたる。寛街の北、交道口南大街側に道標もある。

名所旧跡
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基本情報

茅盾故居

 故宮の東北、東城区交道口南大街後円恩寺胡同13号にある作家茅盾(1896‐1981)が以前住んでいた旧居。前圓恩寺小学校裏門の真向かいにあたる。寛街の北、交道口南大街側に道標もある。

 茅盾の本名は沈雁冰で中国の有名な作家だ。魯迅らとともに文学革命を推進した。1974年に引っ越してきてから1981年になくなるまでここに住んだ。 現在は当時の生活空間がそのまま展示場となり、遺品や豊富な資料で茅盾の多彩な文学活動の足跡を紹介している。伝統的な北京の文人の暮らし向きを知るうえでも貴重なみどころだ。入口西側には「子夜書屋」とレンガ塀に書かれた書店があり、茅盾の生涯に執筆した多数の作品や記念品が販売されている。書斎や寝室、応接間などが生前のままに復元されており、彼の写真やその他の資料が展示されている。

茅盾紹介

 作家、文芸評論家。本名は沈徳鴻、字は雁冰。浙江省桐郷出身。1916年北京大学中退後、上海の商務印書館編訳所に就職、海外文学の紹介につとめた。20年『小説月報』の編集に当たり、西欧近代文学の翻訳紹介に尽力。同年、北京で結成された「文学研究会」に参加、『小説月報』の誌面を提供し研究会を支えた。...

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茅盾故居

 故宮の東北、東城区交道口南大街後円恩寺胡同13号にある作家茅盾(1896‐1981)が以前住んでいた旧居。前圓恩寺小学校裏門の真向かいにあたる。寛街の北、交道口南大街側に道標もある。

 茅盾の本名は沈雁冰で中国の有名な作家だ。魯迅らとともに文学革命を推進した。1974年に引っ越してきてから1981年になくなるまでここに住んだ。 現在は当時の生活空間がそのまま展示場となり、遺品や豊富な資料で茅盾の多彩な文学活動の足跡を紹介している。伝統的な北京の文人の暮らし向きを知るうえでも貴重なみどころだ。入口西側には「子夜書屋」とレンガ塀に書かれた書店があり、茅盾の生涯に執筆した多数の作品や記念品が販売されている。書斎や寝室、応接間などが生前のままに復元されており、彼の写真やその他の資料が展示されている。

茅盾紹介

 作家、文芸評論家。本名は沈徳鴻、字は雁冰。浙江省桐郷出身。1916年北京大学中退後、上海の商務印書館編訳所に就職、海外文学の紹介につとめた。20年『小説月報』の編集に当たり、西欧近代文学の翻訳紹介に尽力。同年、北京で結成された「文学研究会」に参加、『小説月報』の誌面を提供し研究会を支えた。21年、共産党の結成とともに入党。

 国共分裂後に上海で作家活動に入り、武漢政府が崩壊した27年に、国民革命を描いた長編三部作『蝕』を発表、作家としてデビューした。28年から30年まで日本に亡命。当時のプロレタリア文学の左翼偏向を批判した。30年左翼作家連盟に参加、魯迅らとともに連盟を支えた。33年『子夜』(真夜中)を発表、抗日戦争中は、香港、延安、重慶などを転々とし、抗日を扱った作品を多く発表する。41年『霜葉は二月の花に似て紅なり』を発表。

 新中国の成立後は文化部長(文化相)、作家協会主席、『人民文学』初代編集長などをつとめた。64年政治協商会議副主席。文化大革命では、夏衍脚色の映画『林商店』(林家舗子)が批判され、党から除名され蟄居。文革後、政協副主席として復活。文革末期から『回想録』を執筆。

 中国共産党創立以来、革命運動に従事した古参党員であり、魯迅精神の継承者とされる現代中国文学を代表するリアリズム作家。

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住所: 北京市東城区交道口后圓恩寺13号

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