蕭太後河

1000年前の燕京に最初の運河--蕭太後河が現れました。これは北京で唯一人名に由来して命名された河川です。

名所旧跡
  • TEL:

    なし
  • ベストシーズン:

    1年中
  • 所要時間:

    3時間
  • 料金情報:

    無料 無料
  • 営業時間:

    全日開放

基本情報

蕭太後河

 蕭太後河は遼の時代に、南京の政治統治と経済建設において重要な役割を果たしました。遼・南京地区は長年の戦乱で農業が大きな打撃を受け、食糧供給を賄うために遼東地区から南京やその周辺の都市に食糧やその他の物資を送らなければなりませんでした。以前はこれらの物資は渤海湾から天津付近まで水路で運ばれ、さらに大運河を通って通州張家湾まで運ばれ、その後通州から南京城まで運ばれていたが、さらに40キロ以上の陸路を歩かなければならず、車に乗って人が引っ張るなど手間がかかっていました。そのため、川の道を切り開くことが差し迫った問題となっています。折しも、宋遼両国が「澶淵の盟」を結んでからは、大きな戦争もなく、南京地区は比較的平和な時期にあったので、これが蕭太後に河道整備の機会を提供したのです。
 遼・南京地区自体は水源が豊富で、蕭太後河の両端はそれぞれ南京迎春門(今の南横街の東付近)と通州張家湾に位置し、その間には湖、湖沼が多いです。特に張家湾南部の延芳淀は、蕭太後河が潞河に入る入り口であり、元明清以来の京杭大運河の北端の埠頭です。さらに、蕭太後河の河口から渤海海岸までの間の輸送路が円滑であることから、地理...

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蕭太後河

 蕭太後河は遼の時代に、南京の政治統治と経済建設において重要な役割を果たしました。遼・南京地区は長年の戦乱で農業が大きな打撃を受け、食糧供給を賄うために遼東地区から南京やその周辺の都市に食糧やその他の物資を送らなければなりませんでした。以前はこれらの物資は渤海湾から天津付近まで水路で運ばれ、さらに大運河を通って通州張家湾まで運ばれ、その後通州から南京城まで運ばれていたが、さらに40キロ以上の陸路を歩かなければならず、車に乗って人が引っ張るなど手間がかかっていました。そのため、川の道を切り開くことが差し迫った問題となっています。折しも、宋遼両国が「澶淵の盟」を結んでからは、大きな戦争もなく、南京地区は比較的平和な時期にあったので、これが蕭太後に河道整備の機会を提供したのです。
 遼・南京地区自体は水源が豊富で、蕭太後河の両端はそれぞれ南京迎春門(今の南横街の東付近)と通州張家湾に位置し、その間には湖、湖沼が多いです。特に張家湾南部の延芳淀は、蕭太後河が潞河に入る入り口であり、元明清以来の京杭大運河の北端の埠頭です。さらに、蕭太後河の河口から渤海海岸までの間の輸送路が円滑であることから、地理的条件に恵まれているといえます。天の時、地の利、人のすべてがそろって、工事も無事に完成して、ここに今日の蕭太後河が形成されました。
 数年にわたって河を治め、今では蕭太後河の朝陽区間が水辺の歴史文化景勝地となっています。西から東へ運河懐古、古都溢彩、馬家湾の憶、田園魚躍の4つの景勝地を設置して、桜柳映堤、曲橋清州、臥牛問渓、雲塔広々、磨坊話夕など22の景観の節点がその間に散在しています。

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住所: 北京市通州区S202

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