頤和園は一番完璧に保存されている行宮と庭園で、巧みに考案された回廊、壮観な十七孔橋などの景観は皇室庭園の優雅で荘重な風格を描写しています。頤和園は北京のシンボルの一つであり、北京の一日観光の絶好のスポットでもあります。
TEL:
010-62881144-6611;010-62881144-6618ベストシーズン:
1年中所要時間:
3時間料金情報:
4月1日‐10月31日営業時間:
4月1日‐10月31日 頤和園はもともと清の帝王の離宮と庭園です。その前身は清漪園で、三山五園(三山とは万寿山、香山と玉泉山を指す。三つの山にはそれぞれ清漪園、静宜園、静明園の三園があり、また近くにある暢春園、円明園を合わせて五園と総称する)のうち最後に造営された園林です。1750年から着工し、1764年に竣工しました。面積は290ヘクタールで、湖などの水面面積は総面積の約4分の3を占めます。
頤和園が現在の規模になったのは清朝6代皇帝乾隆帝の時代で、当時は「清漪園」と呼ばれていました。1750年(乾隆15年)、乾隆帝は母の崇慶皇太后(孝聖憲皇后)の還暦を祝い、西湖の西に高水湖及び養水湖を掘削し拡張し、3つの湖を合わせて「昆明湖」と命名しました。1764年(乾隆29年)、洋銀480余万両の費用を費やした清漪園がおおむね完成しました。
1860年(咸豊10年)、アロー戦争で清漪園と隣の円明園は戦場となり、円明園の西洋風宮殿が破壊されました。実権を掌握した西太后西太后は1884年から1895年にかけて莫大な費用をかけて、清漪園を自身の居所に再建し、完成後に「頤和園」と改称させました。
1900年(光緒26年)、...
頤和園はもともと清の帝王の離宮と庭園です。その前身は清漪園で、三山五園(三山とは万寿山、香山と玉泉山を指す。三つの山にはそれぞれ清漪園、静宜園、静明園の三園があり、また近くにある暢春園、円明園を合わせて五園と総称する)のうち最後に造営された園林です。1750年から着工し、1764年に竣工しました。面積は290ヘクタールで、湖などの水面面積は総面積の約4分の3を占めます。
頤和園が現在の規模になったのは清朝6代皇帝乾隆帝の時代で、当時は「清漪園」と呼ばれていました。1750年(乾隆15年)、乾隆帝は母の崇慶皇太后(孝聖憲皇后)の還暦を祝い、西湖の西に高水湖及び養水湖を掘削し拡張し、3つの湖を合わせて「昆明湖」と命名しました。1764年(乾隆29年)、洋銀480余万両の費用を費やした清漪園がおおむね完成しました。
1860年(咸豊10年)、アロー戦争で清漪園と隣の円明園は戦場となり、円明園の西洋風宮殿が破壊されました。実権を掌握した西太后西太后は1884年から1895年にかけて莫大な費用をかけて、清漪園を自身の居所に再建し、完成後に「頤和園」と改称させました。
1900年(光緒26年)、頤和園は義和団の乱を鎮圧すべく出兵した八ヶ国連合軍の一部により破壊を受けましたが、1902年(光緒28年)に修復されていました。1953年以降、頤和園は公園となり一般開放されました。1998年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。